たまの宝箱

たまたまの出会いを宝に変えてきた「たま」が、自分の好きをご紹介

「英単語ってどう覚えたらいいの?」

「英単語がなかなか覚えられません。朝5時に起きて出勤前の30分を机での単語学習にあてています。アドバイスよろしくお願いします」

こんなご質問が寄せられました。


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ご質問者さまは英検一級合格に向けて、二人の就学前のお子さまの子育てをしながら、学習なさっている方。お仕事もされているので、限られた時間の中でいかに効率的に対策すればよいのか、ご質問をいただきました。


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英語学習の伴走者、たまの答えは、

「単語は隙間時間に覚えるのが良い。」

です。

 

机に座っての単語学習はもったいない。

ましてや朝一番の頭の冴えている出勤前。

単語帳についている音源を活用し、

朝の洗顔、身支度時、通勤時のBGMとして流しっぱなし。潜在意識に落とし込みます。

 

そして聞いていて気になったり、あれっと引っかかった単語を、あとからすき間時間などを活用して、単語帳でチェックする、という方法がオススメです。


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単語帳は持っていたものの、今日は何ページから何ページまで覚えるというような使い方はしたことはありませんし、ましてや机に座って取り組んだことはありません。

 

辞書のような使い方で、知らない単語に出会った時に紐解く感じです。またはペラペラっとめくって、知らない単語をザザっといくつかチェックするのみの使い方で、単語帳に時間をかけてはきませんでした。


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自分にとって大事な単語とはこれからも幾度となく出会います。英検やTOEICの過去問を解いていても会うし、英文記事を読んでいても会うし、英語の本を読んでいても、大切な覚えておくべき単語とは何度も何度も出会います。そして、出会った単語を英語日記などで自分で使うと英単語が定着していきます。

 

単語帳に費やしている時間を、英文を読んだり聴いたりのインプットの時間に充て、その単語が文中でどのように使われているかを学びます。その中で疑問に思ったり新しく出会った単語をその日の英語日記にアウトプットしていく、そんな流れで一日をスタートしていくのはいかがでしょうか。

 

どんどん使うとどんどん入ってきます。

あなたの英語のお悩み、お待ちしております。

 

『7つの習慣』はマンガ版もオススメ!

『七つの習慣』(スティーブン・R・コヴィー)の分厚いページを開いた時。私は自分の人生の道しるべを探し求めていました。f:id:miyukirun211:20210118223535j:image

プロローグの「パラダイムシフト」と「インサイド・アウト」、第1の習慣「主体的である」を学びました。


その後私の人生の目的地を描こうと「第二の習慣」の「ミッションステートメント」を読み始めたけれど、なかなか自分ごとに落とし込めません。


そこで大好きなマンガで学ぶことにしました。

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誰にでも分かりやすいように、ストーリー仕立てで『7つの習慣』が描かれています。絵もキレイで、章と章との間にはちゃんと文章で解説もなされています。


何か問題を解決したい時、私は本を調べます。書店だけだと新刊が多くなってしまうので、図書館にもあたります。難しくてわからない時は、子ども向けに書かれた本を読むこともあります。今回はマンガ版を読み、このようなアプローチもわかりやすくていいなぁと思いました。

 

7つの習慣も、『13歳から分かる!7つの習慣』というタイトルでも日本図書センターから出版されていました。


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今年は主体的に自分のミッションステートメントに従い、第三の習慣「緊急ではないけれど、重要なこと」のための時間を増やす一年にします。

 

しっかり書籍で学びつつも、マンガ版や子ども向けに書かれた『7つの習慣』も参考に、深堀りしていきたいです。

思わず走りたくなる本『BORN TO RUN 走るために生まれた』

『BORN TO RUN  走るために生まれた』(クリストファー・マクドゥガル著)。「全米20万人の走りを変えた、ニューヨークタイムズのベストセラー」という触れ込みに興味をもち、初めて購入したランニング本。


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走り方のポイントは「楽に、軽く、スムーズに、速く、と考えるんだ。」とあります。


「まずは“楽に”から。それだけ身につければ、まあ何とかなる。次に“軽く”に取り組む。軽々と走れるように、丘の高さとか、目的地の遠さとかは気にしないことだ。それをしばらく練習して、練習していることを忘れるようになったら、今度は“スムーズ”だ。最後の項目については心配しなくてもいい...その3つがそろえば、きっと速くなる」

 

速くなるためにはガムシャラな練習が必要だと思い込んでいた私には衝撃的でした。

「楽ってなんだろう?軽くってなんだろう?」

 

64キロのウルトラマラソンを完走し、フルマラソンの記録は3時間台。元気に動けているように見える私でも、時には体も心も動かない時があります。

 

どうしようもなく自分のできないところにばかり目がいき落ち込んで、「私なんか病」に取り憑かれて、どうしようもない夜があります。


そんな時はとっとと布団に潜り込み、目覚めたら、ランニング、筋トレ、1日1万歩。どれも自分が布団から出て、顔を洗い、身体を動かさなければできないことばかり。泣いていても歩数は一歩も増えません。筋肉も1ミリも太くはなりません。


完璧な自分を目指していた私はいつまでたっても一歩踏み出す勇気が出ず、いつか来る日に向けての準備ばかりの毎日。そんな時にマラソンと出会いました。筋トレも始めました

 

私のように、一人だとやり続ける自信はないけれど、達成したい目標がある、という方に寄り添ってずっと走っていきます。相手が喜んでくれる姿を見ることが、私のなによりもの「生きる活力」だからです。

 

冒頭の本『BORN TO RUN』。

「何かを真に征服する唯一の方法とは、愛することなのだ。」とありました。


「知恵の女神に心をささげ、愛し、気持ちを向ければ、富の女神が嫉妬して、おまえを追いかけてくる。ランニングに何も求めなければ、思ってもみなかったものが得られるということ」

 

愛し、気持ちを向ければ、きっと伝わる。

ランニング以外にも通じるメッセージ。

本当に自分がやりたいことに出逢えて

心が震えました。

 

津南ウルトラマラソン

「考えるということは、実は体を動かすこと」そんな言葉を思い出した津南ウルトラマラソン

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2019年9月。新潟県津南市で行われた64キロのウルトラマラソン。累積標高日本一の難コースに初挑戦。。9時にスタートして、ゴールしたのは日も暮れたあとの18時過ぎ。

 

走り始めた時、私は何か殻を破ろうともがいていました。何から出たいのか、何の縛りから解放されたいのかも分からないまま、肉体を痛めつけるかのように走り続けました。


私が欲しかったのは強さでした。

一人でもやっていける、という心の強さ。

こんなに苦しいことができたんだったら、どんなことでも乗り越えられるよ、という自信。


日が暮れると心細くなります。リュックから出したヘッドライトを頭につけ、暗い夜道を前へ前へとと進みます。リタイヤする中継地点でさえ遠く離れていてたどり着けません。


ヘッドライトに照らされて、スタートしてから9時間後、抱きかかえられるようにゴールした時のことは忘れられません。


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64キロ、累計標高1848mのあんな怖いレースに飛び込んでゴールができたのだったら、他のことなど大したことないように思えてきました。


身体の危険にさらされるリスクはありません。せいぜい笑われるだけ。でも誰に?自分のドリームキラーはいつだって自分。私は何を怖がってきたのだろう。しかも失うものもありません。挑戦するのみです。


「こっちは大丈夫だよ」と、声をかけてくれる仲間もたくさんいます。自分がこれから決断しようとしていることが、正しいのか間違っているのかさえもわかりません。


でも「自分が何か間違ったことをした可能性があった時に元に戻ることができるのも体力です。」とありました。戻れる体力には自信があります。


失敗さえも話のネタ。

そんな気持ちでブレインロック、外していきます。

汗は最高の美容液

「現状維持は緩やかな下降線」

この言葉がきっかけで、走り始めたマラソン。近くの池の周りを走っていると、地元のランニングチームに誘われて加入。


それまで一人で気ままに走っていた私。週に一度、仲間たちと走る合同練習が楽しくてたまりません。一週間の自主練の成果の披露の場。練習場所に集まると、早く走りたくてうずうずしていました。


ところが開始時間には集まるものの、なかなか走り始めません。ストレッチをして体をほぐし、走り始めるまでに30分以上。やきもきします。「サッサと走ろうよ!」部活の後輩にだったらとっくに言っていた言葉を、なんとか飲み込みます。


走り終わってからもストレッチや柔軟、アイシングなどを延々と。なかなかロッカーには戻らず、ましてやご褒美スイーツなど冗談でも口にする人はいません。今まで知ることのなかった世界を垣間見て、衝撃を受けました。


見えないところに、いかに時間と手間暇をかけるか。


一見安いランニングシューズ。中に敷いているのは高価なオーダーメイドの中敷き。走行時間や走行距離の記録からは決して読み取れない、ストレッチや体のメンテナンスにかけている、たっぷりの時間とケアグッズ。


速く走ることしか念頭になく、シューズを履いて走る練習に、全ての時間を投入していた私。見えないところにこんなにもランニングの練習の時間を費やすなんて、思いもよりませんでした。


優先順位が変わりました。今までと同じ生活習慣を送っていたのでは、走る時間と身体のケアの時間とを捻出できません。5キロ走るには30分。10キロ走るには1時間。20キロには2時間の時間が必要。


走る時間と同じだけ、準備運動とストレッチなどの体のケアの時間も必要。自然と時間管理にも気を配り、睡眠時間の確保の大切さも実感しました。


私より年上の方でも、ずっとずっと見た目が若い方たちばかり。チークを塗らなくても、自然に赤らむ頬の色の美しさに吸い込まれます。スッキリと伸びた背筋からは、年齢を全く感じさせません。


こんな風に歳を重ねていきたいと思える方々に囲まれて、私は幸せです。歳を重ねた今が過去最高の自分、と胸を張って言える喜び。


「汗が最高の美容液よ!」と言って笑う先輩方。いつまでもその後ろ姿を追いかけていたくて、今日も見えない所のメンテナンスと睡眠に時間をかけます。

【想い出】スケートリンクの想い出

小学校3年生の秋、父の転勤で北海道に引っ越しました。下校時に先生たちが校庭にホースで水を撒いています。花も草もなく木の枠しかないのに、どうして水なんか撒いているんだろう、と思いながら下校。翌朝登校すると、校庭には見事な二重のスケートリンクができていました。その時の感動は今でも忘れられません。


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私が引っ越した地域の小学校は集団登校ではなく、それぞれ自分の好きな時に登校していい公立小学校。授業が始まるまで、思い思いに好きなだけ、先生たち手作りのスケートリンクで滑ることができます。


一番内側のリンクは半分に分け、フィギュアスケートとホッケーをやりたい児童たち用。外側のリンクがスピードスケート用。


当時1980年代は黒岩彰選手が全盛期。両手を左右に大きく振って、ものすごいスピードでリンクを駆け抜ける姿に憧れた私は、スピードスケートを選択。弟を連れて朝早くから小学校に通い、授業前も授業が終わってからも、ずっとリンクでグルグルグルグルひたすら滑っていました。


スケート靴はスケート授業のシーズン前に、小学校の体育館でバザーが開かれます。毎年大きくなっていく子供達の足。その度に買い換えていたのでは、うちのように3人もいる子供の家庭では大変です。


サイズが小さくなって履けなくなったスケート靴を学校のバザーに持っていくと、大きなサイズのものと交換できます。スピードスケートからホッケーへ、フィギュアスケートへなどの種目の変更も可能なので、色々気軽に試せます。


小6で関東に戻るまでの3年間、毎冬ごとに先生たち手作りの、木枠で囲まれたスケートリンクをひたすら滑走していた小学生時代。あの頃から走る基礎が鍛えられたのかもしれません。


北海道から戻ってきた先には偶然、自宅から徒歩5分の所にスケートリンクが。以来4年前に惜しくも閉館するまで、暇さえあれば滑りに行っていました。特に夏の暑いときに氷の上を白い息を吐きながら滑るのは、とても楽しい想い出でした。


「健康体力習慣を息を吸って吐くように行なうこと」


思えば父が長野県の白馬出身。スキー、スケート、登山などアウトドアのスポーツが好きで、幼い頃から父に連れられて登山やスキーに親しんできました。


平常時の心拍数が非常に低く、手首で計測してくれた看護師さんに「何か運動をなさってるのですか」と聞かれたほど。走って心拍数が上がっても、すぐに心拍数が平常値に戻ってしまうので、ランニング中は信号待ちでも心拍数を落とさないように気をつけているくらいです。


サラリーマン家庭で目立った財産はない、といわれて育ったけれど、たくさんの財産を受け継いできたことに改めて感謝の思いが湧いてきます。


父の運動習慣と読書習慣、そして母の料理好きの食生活を受け継ぎ、両親からの何よりもの長生き遺伝子の贈り物を有り難く思っています。

【本】『人は見た目が9割』を心底実感した一年間

正月休みに実家へ帰った時、小学校時代の通知表を見せてもらいました。そこには

「私語が多いです」

「授業中のおしゃべりに気をつけましょう」など、毎年毎学期ごとに同じような所見が書かれている通知表がありました。


そんな幼い頃からの雑談好き、おしゃべり好きな私が、外に出られなくなったことがあります。

その時読んだのが『人は見た目が9割』(竹内一郎新潮新書)。

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2019年10月福島県伊南川で100キロマラソンが行われた時のことです。

サポートスタッフとして自転車で伴走していた私は、急な下り坂を40キロ以上出して次のエイドステーションへと疾走していました。

 

風にあおられた自分の帽子を左手で取ろうとした時にバランスを崩し、顔面から地面に激突。そこからの意識はありません。気がついた時は70キロも離れた会津若松の武田病院のベッドの上でした。


左の前歯が折れてしまったため、歯科があり土曜日に受け入れてくれる救急病院は福島県でそこだけ。救急車で一時間半もかけて搬送されました。たまたま後ろを走っていた車の運転手さんが直ぐに救急車を呼んでくれたからよかったようなもの、あのまま道路に倒れていても誰も気がつかないような辺鄙な場所でした。


MRICTスキャンをとり、紙おむつをあてがわれ、車椅子生活の始まりです。顔面から落ち、転倒した顔は目も当てられません。応援に行ってくるから、と元気に高速バスに乗って出発する私を見送ってくれた当時高校生の娘。それがフランケンシュタインのような姿で帰宅したのを見て、ヒィーっと声を上げ真っ青になって絶句していたのが今でも忘れられません。


目は青黒く腫れお岩さんのよう。前歯は折れ唇は腫れ、首にコルセットを巻き、髪の毛を洗うどころではありません。自分の容姿に自信がないと卑屈になり、ひがみ根性が出てきました。


あんなにおしゃべり好きだった私が誰ともしゃべらなくなり、外に出るのはごみ捨てに行くときだけ。人目がない夜に最低限の買い物だけ済ますか、ネットスーパーを利用して、商品を受け取る時も顔を上げることはありませんでした。


信じられないような姿を鏡で見て、誰ともしゃべらず卑屈になっていった私は、店員さんからも「こんなあなたでも、私は親切にしてあげますよ」というような哀れみで接してもらっている、と感じてしまっていたくらい、精神までねじ曲がっていきました。


もちろん楽しみにしていた、11月のつくばマラソンも2月のいわきマラソンも全部キャンセルです。そのシーズンを全部棒に振り、運動習慣からも離れ、誰からも日光さえからもひきこもった生活が半年も続きました。


『人は見た目が9割』を実感したのは、その時です。他人から、ではなく、自分が自分の鏡に映った姿を受け入れられず、ただただ卑屈になっていってしまいました。

 

 

埼玉の獨協大学病院へ転院し、通院は去年まで1年半も続きました。外に出るようになったのはマラソン仲間の呼びかけのおかげ。渋る私に辛抱強く声をかけ、外に引っ張り出してくれました。


春の光を浴びて体力が回復するにつれ、コミュニケーション能力も元のように戻り、秋にはまたマラソン大会に参加できるほどまで、体力も気力も元に戻りました。


「コミュニケーション能力にも体力が必要」という言葉を知りました。自分の欠点も私の魅力として受け入れた時、コミュニケーション能力も運動習慣も、私の元に戻ってきてくれました。


私は幼い頃から自分の前歯がウサギのようにちょこっと出ているのがコンプレックスでした。でも大学病院の歯医者の先生が、これをきっかけにキレイに治るよと言ってくれた時、私は以前のように右の前歯にそろえたちょっと出てる前歯の形を選びました。私にはそれがもうトレードマークになってると思ったからです。


今でも左の頬には、サングラスの四角いフレームの跡がハンコのように残っています。左の上唇は2年経ってもまだ腫れが残り、口を閉じるとプクッと下唇にかかるほどです。


でも笑顔で唇を横に引いて笑ってると、あまり目立たないことを発見しました。自然とうさぎのような前歯を出して笑顔で笑っているようになりました。笑いジワで、目元のフレームの跡も隠れてしまいます。


卑屈になっていた私が外に出るきっかけになったのは、引きこもる私に辛抱強く声をかけ続けてくれた仲間たちのおかげ。長年のコンプレックスから解放されたのも、怪我のおかげ。40代最後の一年が、今までで一番輝いている自分として過ごせるよう、運動習慣、続けていきます。