たまの宝箱

たまたまの出会いを宝に変えてきた「たま」が、自分の好きをご紹介

【想い出】スケートリンクの想い出

小学校3年生の秋、父の転勤で北海道に引っ越しました。下校時に先生たちが校庭にホースで水を撒いています。花も草もなく木の枠しかないのに、どうして水なんか撒いているんだろう、と思いながら下校。翌朝登校すると、校庭には見事な二重のスケートリンクができていました。その時の感動は今でも忘れられません。


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私が引っ越した地域の小学校は集団登校ではなく、それぞれ自分の好きな時に登校していい公立小学校。授業が始まるまで、思い思いに好きなだけ、先生たち手作りのスケートリンクで滑ることができます。


一番内側のリンクは半分に分け、フィギュアスケートとホッケーをやりたい児童たち用。外側のリンクがスピードスケート用。


当時1980年代は黒岩彰選手が全盛期。両手を左右に大きく振って、ものすごいスピードでリンクを駆け抜ける姿に憧れた私は、スピードスケートを選択。弟を連れて朝早くから小学校に通い、授業前も授業が終わってからも、ずっとリンクでグルグルグルグルひたすら滑っていました。


スケート靴はスケート授業のシーズン前に、小学校の体育館でバザーが開かれます。毎年大きくなっていく子供達の足。その度に買い換えていたのでは、うちのように3人もいる子供の家庭では大変です。


サイズが小さくなって履けなくなったスケート靴を学校のバザーに持っていくと、大きなサイズのものと交換できます。スピードスケートからホッケーへ、フィギュアスケートへなどの種目の変更も可能なので、色々気軽に試せます。


小6で関東に戻るまでの3年間、毎冬ごとに先生たち手作りの、木枠で囲まれたスケートリンクをひたすら滑走していた小学生時代。あの頃から走る基礎が鍛えられたのかもしれません。


北海道から戻ってきた先には偶然、自宅から徒歩5分の所にスケートリンクが。以来4年前に惜しくも閉館するまで、暇さえあれば滑りに行っていました。特に夏の暑いときに氷の上を白い息を吐きながら滑るのは、とても楽しい想い出でした。


「健康体力習慣を息を吸って吐くように行なうこと」


思えば父が長野県の白馬出身。スキー、スケート、登山などアウトドアのスポーツが好きで、幼い頃から父に連れられて登山やスキーに親しんできました。


平常時の心拍数が非常に低く、手首で計測してくれた看護師さんに「何か運動をなさってるのですか」と聞かれたほど。走って心拍数が上がっても、すぐに心拍数が平常値に戻ってしまうので、ランニング中は信号待ちでも心拍数を落とさないように気をつけているくらいです。


サラリーマン家庭で目立った財産はない、といわれて育ったけれど、たくさんの財産を受け継いできたことに改めて感謝の思いが湧いてきます。


父の運動習慣と読書習慣、そして母の料理好きの食生活を受け継ぎ、両親からの何よりもの長生き遺伝子の贈り物を有り難く思っています。