【本】『氷点』
三浦綾子さんの『氷点』。
高校時代からこれまでずっと、
私を支え続けてくれた作家の原点です。
1963年に朝日新聞社が公募した1000万円の懸賞小説。58年前の1000万円といえば今よりもっと莫大な金額。書き上げたのは締切日の前日。清書する時間もありません。
でも彼女には自信がありました。
想いは通じるという確固たる信念のもと、締切前日の大晦日に投函。そして既成の作家たちを抑え、無名の彼女の小説『氷点』が入選。朝日新聞連載中から大評判となった作品です。
その影響力は絶大で、ドラマ化、映画化はもちろんのこと、日本テレビの『笑点』の番組名が、このころベストセラーだった『氷点』を由来につけられたほど。
後の『塩狩峠』『天北原野』『細川ガラシャ夫人』『ひつじが丘』など、三浦綾子さんの全ての作品に没頭した学生時代。
身を削るという表現がこれほどふさわしい物書きを、私は知りません。
結核、脊椎カリエス、心臓発作、帯状疱疹、直腸癌、パーキンソン病。
度重なる病魔に苦しみながら作品を生み出す彼女を支えたのが、夫の光世さん。
コピー機も音声入力もない時代。妻の創作のために旭川営林局の仕事を退職。口述筆記をしたり、原稿の写しをとったり、全て夫の光世さんが担当。批評し、フィードバックを与え続け、二人三脚で数々の名作を世に送り出してきました。
この『氷点』が連載された、朝日新聞の終盤には、主人公の『ヨウコヲ シナスナ』という読者からの要望の電報が殺到したという、作家にとっては何よりもうれしい、読者からの熱烈な支持。
あれから50年以上の時が経ち、
想いを伝える手段が
電報や手紙からメールに変化はしても、
書き続けられる原動力は今も同じ。
ストイックさこそ人生に必要なものだと
信じてきました。
本当に手に入れたいものは、
全てを捨ててこそ、手に入るもの。
楽しくみんなで、などとは正反対の世界。
二段まで取得した剣道。
英語にマラソン。
自主練の成果だと思い込んできました。
個人の競技だと、勘違いしていました。
振り返ってみると、
続けてこれたのは仲間の力があったから。
成長を喜び、認め、励ましてくれる仲間の存在があったからこそ。
北の国からの発信。
凍える朝に半纏を羽織り、
一マス一マス原稿用紙を埋めていく彼女。
ちゃんと隣にはマメなフィードバックを与え続けてくれる大切な方がいらっしゃいました。
一人では何もできない。
周囲の支えあってこそ続けられる。
今まで見えなかったものに気づかせてくれた三浦綾子さんと夫の光世さんに、
感謝の気持ちでいっぱいです。